宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読 (岩波現代文庫)

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読 (岩波現代文庫)

 映画「千と千尋の神隠し」をご存知であろう。千尋がトンネルの向こう側の「異界」に行って(これが「神隠し」)、現実に再び戻ってくる物語だ。あれがイニシエーションだ。イニシエーションとは「成人式」だ。大人になる、あるいは成長する中の節目で行われる「通過儀礼」をいう。
 これは旧い自分が一度死に、新しい自分に生まれ変わる「自己の死と再生の変容劇」である。ただし命懸けの。記紀神話大国主が兄弟たちに何度も殺され生き返る物語も、実は偉大な神になるためのイニシエーションだった。近代以前の「成人式」では、難題に立ち向かい本当に命を落とした若者も少なくなかったであろう。なお、古代中世から続く熊野大峰修行も、死と再生のイニシエーションである。
 さて、イニシエーションはしばしば「旅」に喩えられる。まさに、旅はイニシエーションだ。それは芭蕉の奥州行をみてもわかる(奥州は「異界」だ)。芭蕉の旅は徒歩であったが、近代人の旅は乗り物を使う。賢治は列車の旅を夢想した。これが「銀河鉄道」である。
 果たして銀河鉄道の旅はイニシエーションであったというのがこの著作である。ではいかなる死と再生の物語であったのであろうか。それは一人の修羅が死に、もう一人の菩薩へと生まれ変わる旅の物語であった。
 多くは書かないが、謎解きを少々。既述の如く考えれば、「銀河鉄道」とは異界である。異界とは必ずしも「あの世」ではない。「千と千尋の神隠し」を想起されたい。だが、現実ではないことも確かだ。もう一つの世界である。そこはあの世ともオーバーラップする。だからこそ、死に行く人たちがこの銀河鉄道に乗り込んでくる。
 ジョバンニの場合は、夢としてこの旅が語られてはいるが、ただの夢ではない。菩薩志願者としてのジョバンニへの数々の試練が仕掛けられてあり、まさにイニシエーションなのだ。
 最後に一つ。著者は、賢治を「シャーマン」、それも「鳥シャーマン」と捉える。たいへん面白い。日本人とインディアンの近さを強く思う(インディアンは2万年前にシベリアからアラスカへ凍った海峡を渡ったアジア人の末裔である)。