明治十年 丁丑公論・瘠我慢の説
- 作者: 福沢諭吉
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1985/03/06
- メディア: 文庫
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西郷隆盛論である。卓抜だ。司馬遼太郎『翔ぶが如く』では新日本のために自身を鎮め石にして負の遺産をまるごと持ち去ったと、また江藤淳『南洲遺影』では「攘夷」を捨てた新政府への異論の存在の証として戦死したとあったが、どこか腑に落ちぬものが残っていた。それが福澤諭吉の本論は納得の行くものがある。
曰く、西郷は第二の明治維新を始めようとしていたと。何のための維新であったのか。国民は豊かに幸せになったのか。それに対し、自分たちの今のあり様はどうだ。おそらくこのことに尽きるだろう。これ以上でも以下でもない。すなわち、司馬の言うような自らたちが成し遂げた近代日本を守りためのひたすらの自己犠牲でもないし、江藤の言う歴史を見通したような透徹した「憂国」の情から出たものでもない。
それにしても福澤の現実を見据える慧眼はどうだ。
それからもう一つ。当時の新聞や学者たちの、西郷への毀誉褒貶についてだ。昔も今も同じなのだ。畢竟、程度の低い国民には程度の低い政府しか持てないと言う通り、堕落というより私たち日本人には悲しいかな、今も昔もこの程度の現実判断力しかないのだ。
これを超えてあるいは食み出して真実を言い当てる人は「日本人」ではない。異人である。偉人は異人なのだ。世間の中にいる日本人には真似はできない。論理的な問題だ。だから異人は日本の棲む世間の外からやって来る。異人は外国人(とつくにのひと)である。あるいは神である。
「痩我慢の説」
勝海舟および榎本武揚についての論評。福澤の論は、二人の特に維新後の身の処し方に対してだ。論難は維新後は隠遁すべきだったということにある。
私が興味を持ったのは、勝海舟に対しての立論の中で「日本の内乱は西欧列強の支配を招く、とは虚偽だ」との話だ。現在も一般に喧伝される通説と言っていいものなのであるが、そうではないとある。ドラマ好きな国民性に迎合する論がまかり通っていることへの猛省が必要だろう。この思い込みの下、あたゆる幕末明治ドラマが描かれていると言っても過言ではないのが現状だからだ。
では、なぜ勝海舟は無血開城を断行したのか。財の蕩尽を恐れ、そうすることが日本近代化に有益だろうと判断したのだろう。福澤は言っている、短期的にはそうの通りだろうが長期的に見ればどうか、果たして日本のためになったかと。そうかも知れないと思う。西郷のクーデタの試みと同様、一度成立したものを正統、正しいものと看做して、その後を誤ってしまったのが、近代日本とも言えよう。